桜が満開の4月。
大き目の制服に身を包む新入生が、門を通る。
ここ、神奈川県・明訓高校に続々と夢と希望を抱いた若者がやってくる。
その中でも目立った、体格の奴が校門の前で仁王立をしていた。
彼の名前は田中豊。女子では171センチと高身長であり、スポーツウーマンタイプの体格であった。
「何かスポーツやっていたの?」と聞かれれば、やっていたという返答が必ずくると思う。
周囲の者はガタイが良いので変に絡まれない様にしたほうがよいと思い、道を開ける。
彼は中性的な顔だったので性別がどちらか見た目は分からないのも良かったのかも知れない。
周囲からは舐められないのだ。
「ねぇ、そこのあなた?」
「俺か?」
そう彼の一人称は俺。
発した声のトーンで分かる通り、彼女であり、女性なのである。
なので舐められたくない一心で俺と自称している。だが、それでも周りは男性と錯覚してしまうのである。
「そう、そこのあなたよ。君、田中君でしょ?」
「ああ。そうだけれども?」
「私は野球部マネージャーの佐伯真昼よ。早速だけれども、野球部に入ってくれない?君のことは中学の試に観に行ったから知ってるのよ」
豊は初対面の人に声をかけられたから、呆気に取られていたが、理由が分かり、合点をした。
直ぐ、二つの返事で野球部に入部をするということに決めた。
豊は一般に入試であったが誰でもスポーツをやりに、高校に来たとは分かっていたが何故、白新高校・横浜学院・クリーンハイスクールなどに入学しなかったのか? と周囲を驚かせていた。
明訓が甲子園に出場をしたなどは遠い昔の話である。
あとで監督の徳川に聞いたが「うーん、あれはオヤジの代だったから30年も以上も前になるなあ」と話した。
真昼は授業が終わったら部室に来る様にと豊を誘った。
豊は早かれ遅かれこうなることが分かっていた。
彼女の実績を観れば全中で優勝をして中学日本代表に選出をされていて世界大会にも出場をしたから、野球部に入部するのは時間の問題だったからだ。
授業中は先生の話はそこそこ聞き、上手い具合、やり過ごし、放課後、野球部の練習に出る為に校庭に着たが、そこはサッカー部と共同のグラウンドだった。
明訓高校は近年・サッカー部、バスケ部のほうが強豪で全国大会に出場をしているので野球部の影が薄くなってしまっていたのだ。
私立とはいえ古豪なので強豪チームだったころの野球部は影も形もないのである。
「お前らよくきた。俺は明訓高校の監督。徳川三郎だ。よろしく。オヤジの代では甲子園に行ったみたいだけれども、俺の世代ではおそらく、そんな事はない。まあ、そこそこ楽しめればよいよ」
と、何とも気の抜けた挨拶をしてきたので豊はガッカリした。
名監督(ブログオリジナル)の息子(家庭環境が複雑で皆の前へでるのが遅れた)というから、弱小チームでも、それなりに鍛え上げられて強い野球をするもんだと思いこんでいたからだ。
豊は白新に入学をしておくべきだったと後悔することになった。
「監督さん。ワイは甲子園で優勝してソフトバンクにいくねんで!やる気がなかったら困る!」と後ろから声が良く通った調子で発言をして、こんなところにも高みを目指す野郎がいた! と思ったから嬉しくてたまらなかった。
「は? 良い奴らがいくら入部をしたからって、甲子園に行けるわけないだろ。他はイモみてえな、顔をした奴らだろ!」
と徳川監督は悪態をついた。
この監督は選手の夢と希望を平気で潰すような監督だから相手にしてたら士気が下がる無能タイプだ、と豊は自分に言い聞かせた。
それと同時に関西弁のコイツから言われた気がした。
「ほぉー。ワレも同じ考えみたいやな。」
二人で拳を併せる。で拳を併せる。
徳川監督の表情が僅かにながら微笑んだ気がした。
(案外、日本を沸かせるコンビになるかもなぁ)
と心の中で思っていたのだ。
初日の練習から軽めであった。
ランニングには余り力を入れず、新入生を練習でも起用しすぎであったために、これでは上級生のプライドもあったものではないと思い、豊は単独メニュ―にする予定だった。
(ほぉ、あの二人……面白いことになってきたな)
と徳川監督は自分のひげを触りながらあえて何も言わない事に決めていたのである。
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